2025年10月17日、厳しい暑さもようやくおさまり、秋の夜の空気が心地よく、会場も落ち着いた雰囲気に包まれた。この日、ぶんこも初となる音楽イベント「歌い継がれる宮廷の響き——北インド古典声楽レクチャーコンサート」が開催された。
北インド古典音楽ヒンドゥスターニー音楽の代表的な声楽様式カヤールについての講演と演奏を聴くという珍しい企画だ。なぜ珍しいかといえば、インド音楽のコンサートに足を運べば、演者によって音楽が解説されることはまずないだろうし、逆にインド音楽についての大学での講義などでは、生演奏を聴くことは稀であるからだ。
このような企画が可能となったのは、大学で研究者としてインド古典学について研究し、同時にインド声楽の巨匠から実践を学んでいる虫賀幹華氏の出演があったからに他ならない。長期間のインド留学を経て、サンスクリット語とヒンディー語を習得された虫賀氏ならではの、北インドの声楽への深い理解と愛着がうかがえる貴重な催しとなった。
私は常日頃から大学は、様々な思想や文化に開かれた自由空間であってほしいと思っている。本企画は、大学キャンパスという知的な空間の中で、研究や学問を追求する人、あるいはその雰囲気を好む人々の興味を引く学際的なイベントとして打ってつけだった。
そのような刺激的なイベントに、もう一つの目玉であるインド料理も華を添えた。異文化研究においては言うまでもないことだが、「食」は人々の集いにとって重要な要素である。清水侑季氏のビリヤーニーとチャイは、虫賀氏ののびやかな歌声と共に、その日集った60名を超える観客の五感を捉え、甘美な異空間を演出した。
人々は異国情緒あふれるステージと楽器を目で楽しみ、歌とタブラーが織りなす掛け合いに耳を傾け、香り豊かなインド料理を鼻と舌で味わい、そしてその場に漂う非日常を肌で感じた。インド音楽の醍醐味は、音を身体で味わうことだ。聴衆は日常を離れ、豊かな時間に浸っていただけたのではないだろうか。

インド音楽はしばしば「ジャズに似ている」と形容される。確かに、即興性や演奏者間の掛け合い、瞬間の創造という点では共通する。しかし、ジャズが時代の最先端を突き進み「革新」を基盤とするならば、インド音楽はむしろ「継承」を目指す芸術だ。過去を否定するのではなく、幾世代にもわたる師弟のつながりの中で、音の美を磨き続けてきた。そこに「伝統を破る」という発想は存在しない。伝統とは「生き続けるもの」であり、演奏者一人ひとりの身体を通じて更新されていく流動的な存在なのだ。
今回のレクチャーコンサートでは、そうしたインド音楽の思想がまさに体現されていた。音楽が時間をゆっくりと引き延ばし、聴く者の内側に静かな変化をもたらす。これは単なる鑑賞ではなく、“体験”としてのインドの文化との出会いである。大学は知識を伝える場であると同時に、感性を育てる場でもある。ぶんこもはその象徴的な試みとして、学問の外延を拡張している。学内外の人々が一堂に会し、五感を通して世界の多様性に触れることで、大学という空間はより生きた文化の場へと変わっていく。そこには知のコミュニティーとしての大学の原点があるのではないだろうか。
今回の成功を受けて、今後もぶんこもで音楽や芸術を紹介するレクチャーコンサートを企画していっていただきたい。このようなイベントには、京都大学という学際的な場だからこそ実現できる出会いがある。音楽は言語を超えるコミュニケーションであり、文化理解の最も直接的な扉だといえる。大学という知の拠点が、その扉を次々と開いていく――その先に、より豊かな文化的な化学反応が展開していくことを願ってやまない。

最後に今回の企画に関わってくださった方々への謝辞を述べたい。まず、今回のイベントの企画、運営、広報と全てを担ってくださった天野恭子先生、喜多千草先生、山﨑大暉先生。さらに当日の手伝い等を行ってくださったぶんこものスタッフの方々。そして、京都のインド音楽の発展を支えてきたタブラー奏者であり、音響のスペシャリスト藤澤バヤン氏。これら多くの方々の助力なくしては、このような素晴らしいイベントの成功はなかったであろう。また、遠方からお越しいただいた方々や、忙しい学業生活の合間をぬってイベントに参加していただいた院生や学生諸氏にも、心より感謝したい。